自分の可能性を使い切れたか?
先日、水墨画を鑑賞してきました。
美術展や書道展、観劇などにはわりと行く方で、いつもは楽しく拝見しています。
今回の水墨画も、
・緑や赤色は何を原料に作っていたのだろうか? ・濃淡の違いを生み出すために、濃淡の別れた墨を準備していたのだろうか?
などなど、様々な感想を持ちながら鑑賞させて頂きました。
その中で、一点気になることがありました。
自分の仕事やこれまでの活動は、この絵のように人に胸を張って言える、後世に残るようなものだろうか?
残る仕事と残らぬ仕事
自分の場合、かる〜い鬱期にいるとこのような思考に陥る時が多い。
鬱期に入るのは熱中できるものがない時で、いつもは鬱期に入る前に筋トレやランニングを1日3時間くらいするようにしている。
すると、自分の身体が変わっていく感覚と夜疲れてぐっすり寝られるため鬱期を回避できる。
今はオーバーワークがあったため休憩中で、鬱期を回避できなかった。
しかし、この期間に将来について考えると毎回良い方向に進むことがあるので、この鬱期には自分と向き合うことにしている。
そして絶対にSNSを見ない。
周囲の人々の明るい投稿を見るとさらに鬱々としてくるのが分かっているためだ。
話を戻そう。
自分の活動は後世に残るだろうか?
ボーッとしていると1日は早く過ぎていく。
このブログを書くようになってからは、必ず何かインプットしてアウトプットしなければと考えるようになり、ダラダラとした時間の使い方は無くなってきた。
一方で、自分らしい、胸を張れるようなことが出来ているか?と問われると返答に困る。
知識を溜め込む一方で、吐き出していない。
自分の目標は、ITを使って場所や時間に縛られない仕事をすること。
あまりにふわふわし過ぎている。
この鬱期を利用して、
- 自分が何をしたいのか?
- そのためにどんな行動ができるのか?
- どうすればその行動を継続できるのか?
この3点に向き合っていきたい。
個人的には、AIやLLMを使った研究をしてきたので、これを田舎の社会課題や海洋ゴミ、あとは健康などを組み合わせたスタートアップを立ち上げたいが。
またVCや起業家コミュニティに顔を出して、少しアイデアとやる気を分けてもらおうかとも考えている。
最後に、自分の好きな青木真也選手の言葉を
凡人が空気を読んでしまったら、本当に空気になってしまう
明日から、また生きるぞ