読書
section1までの内容について
ここでは、 上流:問題を起こさないようにする事前の策(治安悪化を防ぐために、出産から手厚い保護をして真っ当な人生を送れるようにする)
下流:問題が起きてからの対策(治安悪化してから、警察を増やす)
としている。
さらに、下流に対処した際には上流にその2.5倍の費用をかけて対策をすることも示していた(スウェーデンの例)
加えて、今の社会だと下流の仕事の方が評価されやすいとも (下流:交通違反の取り締まり、上流:交通事故が起こりやすい交差点に立つことでドライバーが安全運転を意識し、結果事故が減る)
じゃあ、自分にとっての上流、下流ってなんだろう?
自分をどの切り口で見るかで、変わってくると思う
例えば人としての魅力、お金を稼ぐこと、健康
それぞれの上流、下流はなんだろう
パッと思いつくのは
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人としての魅力
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下流:カッコいい洋服を着る、化粧とかして見た目を良くする
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上流:自分の体を鍛えて、長く健康でいる、トーク力や忍耐力といった内面を鍛える(数値化しづらいし、すぐには結果に結びつかない)
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お金を稼ぐこと
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下流:バイトをする、目先の昇進のために働く、眼に見える成果を求める
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上流:英語の勉強、資格取得、自分でnano事業を起こしてみる、OSSに貢献する
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健康
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下流:風邪を引いたら病院に行く、体調が悪くなったら休む、サプリを飲む
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上流:体を鍛える、食事に気を使う、ストレスをためないようにする
とかだろうか。
まず、下流タスクが悪い訳ではない。
ただ、それらに費やしている時間コスト、経済的コスト以上に上流タスクに時間をかけること。
これが結果として、何年後かに自分に降りかかってくる問題を変えることできる(のではないか?)
しかし、現状上流タスクに使っている時間は少ない
特にお金を稼ぐ部分については。
これだと今は良くても将来ツケが回ってくる
この危機感をどうやったら常に持って取り組めるか考えなければ
上流思考を阻む3つの罠
問題盲
今起きている問題を天気のように扱っていることはないか?
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自分の場合なら、満員電車に揺られることはストレスだが、会社があるので仕方ない。
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エンジニアとして、論理的思考を求められるから人の感情がよくわからないのは仕方ない
とかとか。
でもそれは盲目的に信じて良いことなのか?
少し前であれば、出勤=出社 だが今は違う
地方に住みながらリモート勤務もできる
何故やらないのか?
自分にリモートで働く能力がないから?
ならその能力をつけるための行動はしているのか?
設計を変えよう
今こうなってしまっているのは、自分が悪いわけでも社会が悪いわけでもない。
自分のいる環境、設計が悪い
どこを直すと問題解決になるのか?
何故この行動をとってしまっているのか?
フレームワークを変えることで、問題を一歩引いて考え、視野広く解決させる
当事者意識の欠如
問題が起こった際に、「自分に全責任がある、と仮定して考えてみる」
何か問題が起きると、他人のせいにしてしまう。
けれど、一旦問題の原因は全て自分にあると考える
地球温暖化が起こっているのも、ロシアウクライナの問題も、日本の少子高齢化も、満員電車に揺られるのも全て自分のせい
この考え方は最善ではないが、当事者意識を持つ、という点では使える
その当事者意識を持ったところでどう利用するか?
自分に何ができるか考えて行動に移す必要がある
大抵の問題において、当事者になれば解決できる問題に対して、自分には関係ないと思ってしまう。
椅子をずらそう、そうすれば見えなかったスクリーンが見えて自分の行動で世界は変わる
トンネリング
トラブルが発生しそれを解決すると気分が良い
部屋が散らかっているのを片付けると気持ちが良い
でも、これらはトンネリングに陥っている
トラブルを解決するため、そのトラブルに集中し結果を出す
しかしそれに躍起になってトラブル原因を排除する方法が思いつかない
トンネリングはある意味極端な集中によって起こる産物とも言える
締切ギリギリになってから爆速で進む仕事や宿題なんかがそうだ
でも、それはトラブルの根本解決にはなっていない
しかし、世の中を変えたいときに一気に世間の関心を集める、社内で解決したい問題に集中させることもできる
要は使い方だ。
ただし、劇薬で大体において中毒になる
まとめ
section1まででは、上流思考を阻む罠とそれに対処してきた人々の活動について学びました
考えるのは、自分にとっての上流、下流は何か?それをどうやって解決するか?ということ
そこを意識して行動しないと、絵に書いた文字で終わる
雑談
ニッチ饅頭のラグジュアリー解説という動画をよく見ています。
ラグジュアリーブランドの商品には興味がないのですが、その経営手法やマーケティングに興味があるから。
そんな中で、もしかするとこの投稿者の方は女性かもしれないな、と思いました。
で、そこで気づいたんです。
無意識にゆっくり動画を制作している人って男性だと思い込んでいたことに。
別に、このYouTubeチャンネルの投稿者様の性別が気になるわけではありません。
ただ、自分がそういう偏見を持っていたんだなー、と我にかえる瞬間でした